■Secret noisy heart 〜アルミ結晶〜
――パタン。静かな音を立てて、病室のドアが閉じた。
外にはあたし。中には遙と孝之。あの日以来、眠ったままの遙と、――あの日以来、泣き続けている孝之。声を殺して、涙は涸れて……それでも、今でも泣き続けている。
いつもそう。あたしはいたたまれなくて、先に病室を出る。遙と孝之を残して。
あの事故からもう、一年経つ。孝之はずっと、泣き続けて、泣き続けて……。
「遙が事故に遭ったのは、俺のせいだから」
そう言って、孝之は自分を責め続けた。だけど、それだけじゃない。孝之が毎日、遙のお見舞いに来て、声を殺して泣いてるのは……遙を、愛してるから。
痛いほどに、それがわかる。だから、あたしは……あたしの想いは……。
「……遙、目を覚ましてよ。遙ぁ……」
目尻を落ちる涙を、慌ててハンカチで拭う。こんなところを孝之に見られたら、あいつはまた、自分を責めてしまう。
遙は、ずるいよ。ずっと孝之を繋ぎ止めてる。孝之を苦しめてる。孝之に、愛されてる。……こんな風に思いたくないのに、思っちゃいけないのに。
「……遙、目を、覚まして。これ以上、苦しめないでよ。孝之を……」
……あたしを。
孝之は遙を愛してる。愛していた、じゃない。今でも愛している。それがわかるから、あたしはなにも言えない。あたしの気持ちを、なにも言えない。これ以上孝之を苦しませる材料を、増やすわけにはいかない。だからこの気持ちは、ずっとしまっておこうと思っていた。あたしの心の中だけにずっと。
――それなのに。
***
――孝之。
仕事の帰り、柊町の駅を出たところで孝之の背中を見つけた。
いつものように声を掛けようとして、躊躇う。孝之の背中は、どこか疲れていた。辛そうにしていて、疲れていて……それはこの一年の間ずっと変わらない。だけどここ数日の孝之の様子は変だ。辛さよりも疲労感ばかりが見えて、今まで以上に自分を捨てている、そんな風に見える。
「孝之!」
努めて明るく、声を掛けた。あたしまで暗くなっていてもしょうがない。
「ああ、速瀬か。仕事の帰り?」
振り返った孝之は、やっぱり疲れた顔をしていた。だけど、何だろう? やっぱり何か、いつもと違う。乾いた感じがする。
「うん。孝之は病院の帰り?」
何気なく訊こうとしても、ただ一言にいろんな感情が混じり合って、どうしても堅い声になってしまう。
「いや。……今は、行ってないんだ」
「え?」
行ってないって……?
孝之は通行人を避けて歩道の端に寄った。電話ボックスの影になって、歩行者の邪魔にならないところ。あたしもそれに倣う。少し長い話になるんだろうと、そう思った。
「悪い、速瀬には話そうと思ってたんだけど、なかなか言い出せなくて。……遙の親父さんにさ、もう来ないでくれって、言われた。遙のことは忘れてくれってさ」
「…………」
「みんなが、俺を心配してるからって。俺、そんなにひどい状態だったかな?」
戯けたように言う。だけど、顔は笑えてない。そんな孝之が、あたしの胸をきゅっと締め付ける。
「……うん。ひどい状態、だったよ」
「そっか。速瀬がそう言うんなら、そうなんだろうな。……速瀬はずっとそばにいて、俺のことずっと支えてくれてたんだもんな。今になって、こういう状態になって、ようやく気が付いたよ。ごめんな、速瀬だって辛くないはずないのに」
「……孝之」
「速瀬には、ホントに感謝してる。お前がいなかったら、俺、もうとっくにどうにかなってた」
孝之が少し視線を動かす。その先は、遙が事故に遭ったその現場。当たり前だけど、事故の傷跡はもう無い。ベンチも置かれていなくて、でも変わらず、待ち合わせにはよく使われる場所だ。
「……ごめん、変な話したな。それじゃ俺、もう帰るわ。気を付けて帰れよ」
孝之は逃げるように走り去ってしまう。あたしは、その背中を……。
「――孝之!」
立ち止まって、振り返る。複雑な表情。孝之も、たぶんあたしも。
孝之は、そのまま待ってる。あたしの言葉の続きを待ってる。
孝之のそばに駆け寄る。そこまでは自然にできた。
「孝之、あの、あたし……」
言葉が、止まってしまう。
あたし、なにを言おうって言うんだろう? この気持ちは、ずっと胸の奥にしまっておかなきゃいけないのに。そう決めたのに。……ううん、最初からそう決まってたのに。
あたしと孝之の間を阻む壁が、だんだん無くなっていってしまう。あたしを試そうとするかのように。
「……ごめん。なんでもない」
この言葉は、言っちゃいけないんだ。言っちゃ……。
「速瀬、……これからも、よろしくな」
「え? う、うん。なに言ってんのよ、あったり前でしょ。あたし達、友達じゃない」
「……うん。そうだな。友達、だもんな。ありがとう。……それじゃ」
孝之は走っていってしまう。その背中を……今はただ見送るだけ。……友達だから。
それでも、いつか。この想いが届くことを、心の片隅で願わずにはいられなかった。
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