■ご挨拶
 いらっしゃいませ。津山です。
 興味本位でも洒落でも、ここに来て頂いて嬉しいです。
 これは{Kanon}のサブキャラ、{天野美汐}という少女のSSです。
 彼女、ゲーム本編では真琴の話の説明の為に出てきたかのような存在…。
 そりゃ、可哀想だろう、こんなにいい子なのに!(想像)
 と、いう訳で創ってみました。
 それでは、しばしお付き合いの程を。
 ごゆっくりお楽しみくださいませ。





  いつからの事だったろう。
  自分が走っているさまを意識しだしたのは。
  自分の足がまるで翼が生えているかのように軽く。
  ぐんぐん、スピードを上げて草原を駆け抜けていく。
  走る、走る。
  小川のせせらぎを一息に飛び越えて。
  大樹の脇を抜け、岩山の上に跳躍して一旦周りを見回す。
  が、すぐに又走り始める。
  やがて、小高い丘が見えてきた。
  『もうすぐ、好きな場所に着く』
  はっきりとは分からないがそう、感じた。
  (今日もいてくれるだろうか?)…そう、思った。
  そして、その場所には、
  …大切な、大事な『あの人』がいた。
  (ああ、今日も会えた)
  安心感と嬉しさが、同時にこみ上げてきて、
  顔を見て、話しかけようとした時…

 美汐は、夢から醒めた。



《軌跡》

                〈 other story by Kanon. 〉


 ジリリリリリリリ…!
 …目覚ましが鳴っている。
 閑静な住宅街の中の一軒家。
 この辺は朝は割と静かだ。
 だが、今はその家の二階で目覚ましが鳴っていた。
 朝があまり得意ではない少女は、ゆっくりとした動作で目覚ましを手に取
ると、かちりとベルを止めた。

 部屋の中に途端に静寂が訪れるものの、窓の外から鳥のさえずりが聞こえ
てくるので、無音状態とはならない。
 ベッドから抜け出しながら、
 いつもの朝だ。
 美汐はそう、思っていた。
 …その時は。

 「ありがとうございましたー!」
 CDショップの袋を手に、店員の声に送られて外に出る美汐。
 この日は中学校からの帰り道、友達に手を振って別れを告げた後、商店街
に立ち寄っていた。前々から欲しかったCDが入荷されたと連絡を受けていた
からだ。
 (よかったー、やっと買えた!)
 店員からお釣りをもらって財布にしまうときに、手につかなかったのか少
しこぼしてしまって、恥ずかしい目にもあったが。
 嬉しさのあまり、つい店先で袋の中身を確認してみたりもする。
 …が、その時。
 美汐は視線を感じて顔を上げた。
 立ち止って自分を見ている、もうすぐ青年に差しかかろうかというぐらい
の年頃の少年がいた。
 (…?)
 はしゃいで浮かれていたので変な目で見られた、という訳でもなさそう
だ。何か…例えば、子供の頃の同級生を久しぶりに見て、本人かどうか迷っ
ているような…そんな雰囲気で美汐を見ていた…が。
 (あ…)
 すぐに少年は視線を外して、歩き去っていった。
 それはほんの数秒の事だったが、その少年の瞳には何故か心のどこかに引
っかかる何かがあった。とは言っても、この時の美汐にはその何かの正体が
分かる筈もなかったが。
 しばらく歩いてから振り返った少年の口から、つぶやくように言葉が流れ
出る。
 「まだ、そんなに兆候は現れてない様だけど…。でも、もう…」
 風をまといつ、少年の最後のつぶやきは空に消えた。


  一緒にいた。
  好きな場所に、あの人と。
  いや。あの人がいてくれたからこそ、その場所が好きだったのだ。
  あの人がいなくなってしまったら、何の価値もない。
  大好きなあの人。大切に思うその人がいなくなるなんて、絶対に耐えら
  れない。
  もし、そんな事になったら…その時は。
 そこで、目が覚めた。

 その朝。
 美汐は自分の手に違和感を感じていた。
 (あれ…?)
 おかしいな、と思う。ただ単に、服のボタンを掛けようとしているだけな
のに。二度も掛からずに空振りするとはどういうことだろう?
 結局、三回目には掛けられたので、深く考えず、
 (寝起きだったから調子が悪かったのかな?)
 と、思うにとどまった。

 「では、お母様。いってまいります」
 「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」
 穏やかな優しい笑顔で玄関まで見送ってくれた母親に挨拶を交わし、美汐
は家を出た。中学校へのいつもと変わらぬ通学路。

 (あれ?あの子…)
 途中にあるビル建設現場の、高い鉄の塀の前を通りかかった時だった。
 行く手の路上に、どこかで見たような顔がいた。
 (あの子…そういえばこの前…)
 それは数日前に商店街で美汐を見ていた、あの少年だった。
 もちろん、はっきりと記憶している訳ではない。
 だが、あの時美汐の中で引っかかった何かが、その少年のことを何となく
ではあるが覚えていた。
 その時、組まれている鉄骨を鳥が渡っていった。その影と羽音で何気なく、
工事中の建物を美汐が見上げた瞬間。
 (え…!?)
 何か…何かが。
 美汐の中で反応した。
 (わ…たしは…)
 ぐにゃり、と視界がブレた。
 心臓の音がやけに大きく聞こえた。
 力が抜け、立っている事ができず、視界に黒いカーテンがかかっていく。
 慌てたように駆け寄る少年の姿が一瞬眼に入ったが、そのまま完全に闇に
包まれた。
 どさっ…。
 直後、意識を失って倒れた美汐を助け起こす少年。
 呼吸を確認し、気を失っているだけという事に、ほっと安堵の息をつく。
 「…いよいよ、か」
 少女の体を抱えあげそうつぶやいたのを、美汐は無意識のどこかで聞いて
いた。


  私は『あの人』が好きだった。
  だって、言ってくれたから。
  私がそう願ってやまなかった言葉を。
  憧れていた言葉を。
  あの人が私に、そう言ってくれたのが嬉しかったのだ。

  『ね。お友達になりませんか?』…って。





 無意識から、意識下へうっすらと開かれた瞳に映ったのは、心配そうに覗
き込む母の姿だった。
 「…美汐さん!?ああ、よかった。気がついたのね!」
 「…お母様?」
 次に目覚めた時、美汐は自室にいた。レースのカーテン越しの陽光が、も
う正午近いことを指している。
 意識を取り戻した事を枕元で喜ぶ母を、不思議そうに見る。
 「私…どうして…?」
 「憶えていないの?」
 意外そうな母。
 「…はい」
 まだすっきりとしない様子の娘に、とりあえずは目を覚ましたということ
で一安心したのであろう母が説明する。
 「美汐さん、学校へ行く途中で突然倒れてしまったそうよ」
 「私が…ですか?でも…」
 意識が途中で寸断されたのはなんとなく覚えていた。だが、どうして家に
帰って来れたのかが、わからない。
 「偶然通りがかったと仰る男の子が、負ぶってきて下さったのよ」
 「男の子…ですか?」
 美汐の脳裏に気を失う直前まで見ていた、あの少年が思い浮かんだ。
 「お知り合いの方なの?」
 娘の反応を見た母が問い掛けたが、
 「いえ…別にそういう訳では…」
 現時点での本当の事を答えた美汐に、新たな疑問が沸いた。
 「そういえば…なぜ、私の家をご存知だったんでしょう?」
 それに対して母が答えを示す。
 「学生手帳をご覧になったそうよ。『急に倒れたので、仕方なかった』と
大変恐縮なさってたけど」
 少年の様子を思い出して、微笑を浮かべる母。
 あの彼にしてみれば、ちゃんと説明しないととんでもない誤解を招くと思っ
たのだろう、と。
 「…そうでしたか」
 納得する美汐。
 今日はゆっくりお休みになっていなさい、そう言って母が部屋を出ていっ
た後で。少年の最後の言葉、あのつぶやきを。

 『いよいよ…、か』

 何故か突然、はっきりと思い出していた。
 (何が、なんだろう…?)
 その言葉の指すところは、恐らくは自分に関係がある。
 漠然とした不安と共に、あの少年のことが、なんとなく気にかかってきは
じめていた。



  『お友達になりませんか?』
  そう言われたとき、胸が躍った。
  嬉しかった。
  私も友達になりたかったから。
  友達になった私は『あの人』が大好きになった。
  いつも一緒にいた。
  あの人が頭を撫でてくれるのが好きだった。
  暖かくて…優しい手だった。



 …カッシャァーン!
 リノリウムの床の上で、甲高い音を立てながら給食のスープ用のお玉が跳
ねた。
 「きゃあっ」
 落ちた拍子に汁が飛び、傍にいた女性徒が慌ててそれを避ける。
 今日、『二度目の失敗』をやらかした美汐に、教室中が注目する。
 「あ〜あ…。本当にどうしちゃったの、天野さん?」
 「大丈夫?どっか具合悪いんじゃない?」
 当然あがる、クラスメート達の声。
 「ご、ごめんなさい!すぐ洗ってきますから!」
 慌ててお玉を水道で洗って戻ってきた美汐を、他の女性徒がやんわりと制
した。
 「待って、天野さん。あたし代わってあげる」
 「え、でも、私が当番ですし…」
 両手でお玉を持ったまま、くちごもる美汐。
 「いいよ、何だか調子悪そうだから。今度あたしの時にやって頂戴?」
 そう言われては、二回立て続けにお玉を落としてしまった美汐としては反
論しづらい。
 実際、今日の献立のクラムチャウダーだけがまだ、誰の器にも入ってなか
った。級友に代わってもらいながら、美汐はここ数日の間になぜか利き辛く
なってしまった両手を見ていた。
 (私の身体…一体、何が…)
 そんな不安な気持ちが美汐に付きまとい始めていた。
 そして、誰でもいい何か知っていないだろうか、という気持ちの中で思い
出したのは、あの少年だった。
 何故かはわからない。
 だけど、ただ、そう感じた。
 (あの子なら…何か知っているかもしれない)

 帰り道。
 待ち伏せでもしてたかのように行く手に現れた少年に、気を引き締める美
汐。
 少年を見るのはここ数日、毎日だ。
 最初は前に倒れた時に家まで運んでくれたのを確認した上で御礼を言っ
た。少年はその事には曖昧に頷いただけだった。
 それなのに、その日からずっと朝晩の通学路上で見るようになった。
 遠くから見ているだけで、何をする訳でもないので放っておいたのだが。
 でも、今日は、と美汐は思っていた。
 自分の体の変調は、こじつけであるかもしれないが少年が現れた頃と一致
しているような気がした。
 多少の恐怖もある。
 少年の口から出る言葉がもし、よくない事実を伴ったものだったら。
 だが、今は美汐の中の真実を求める心の方が大きかった。
 「…こんにちは」
 「…どうも」
 そっけない、ともとれる挨拶。
 「貴方に…聞きたい事があるのですが」
 「僕に?…何をですか?」
 言葉の割には、意外そうにはしていない少年。
 ともすれば逃げ腰になるのを奮い立たせて美汐は尋ねた。
 「私の…事について、何か知っているのですか?」
 空気の密度が増したように美汐は感じた。息がしづらい。
 「…あなたは」
 少年の回答に身構える美汐に、少年はしかし別のことを言った。
 「あまり気になさらないでください。あなたが気に病まれても、どうしよ
うもないのです」
 見た目の割に妙にしっかりした喋り方だとは思ったが、その言葉によって
少年への疑惑が確信へと代わった美汐にとっては、それは些細な事だった。
 「やっぱり…何か知っているのね!?教えて、私どうしちゃったの!?」
 勢い込む美汐だったが、少年はそれを受け流した。
 「…多分まだ、お分かりにはなれません。その時が来たらお話しましょう」
 「…その時?」
 要領を得ない美汐に少年は言った。
 「はい。もう、そんな遠くはない筈です」
 「……」
 言葉を失った美汐に背を向ける少年。
 静かに立ち去りながら、誰の耳にも届かない言葉を発した。
 「もう少し…。もうすぐだよ、姉さん…」




  暖かい手で私を撫でていてくれた『あの人』
  いつしか、弟まで一緒に私に付いて来るようになった。
  私はあの人が迷惑に思わないか心配したが、あの人は弟も優しく撫でて
  いてくれた。
  『お友達が増えました』と言って、かえって喜んでくれた。
  とても優しい人。
  物腰は上品なんだけど、全然気取ったところはなくて。
  私達の目をちゃんと見て、いろいろな話をしてくれた。



 最近の美汐は夢をよく覚えている。というよりも、夢の中でも意識がある
のだ。夢の中の美汐にはどうやら弟がいて、ふたりで誰かと一緒に遊んでい
た。ふたりともその人のことが大好きだったようだ。
 でも、顔がどうしてもはっきりとは思い出せず、そこだけ靄が掛かってし
まっていた。
 ただ、おかしな事にそれが『夢』の記憶なのか、『現実』の記憶なのかが
曖昧になってき始めていた。
 美汐には今までそんな思い出はない。
 思い出とは記憶である筈。
 記憶…それは自分の過去、体験だ。
 美汐には、過去に風を切って野山を走り回ったような体験は覚えがない。
 それなのに、
 それらが実際に起こった事であり、実際の感覚であるという妙な確信があ
った。
 何故…今まで忘れていたんだろう?
 どうして…今になって、思い出してきているんだろう?
 (体の事と…何か関係があるのでしょうか…)
 美汐は考え込んでいた。
 まるで、体の中に誰か他の人がいるかのようだと。
 最近、すっかり細かい事が苦手になってしまった、自分の手を見ながら。




  (あ…。また…)
  夢の只中に美汐は立っていた。
  今日は最初から、かなり意識がはっきりしている。
  広い草原、小高い丘を通り過ぎていく風に頬を撫でられながら、周りを
  見回す。
  (ここ、は…)
  美汐の記憶にあるところだった。
  「ものみの丘…?」
  ものみの丘は美汐にも思い出がある。小学校の頃、遠足で来た事があっ
  た。その時、当時担任だった先生がしてくれた昔話を思い出す。

  ものみの丘の妖狐伝説。
  ものみの丘には、妖狐が棲んでいる。
  古くから現代に至るまで、厄災の象徴として厭われてきた。
  狐の姿をしているという、不思議な獣の話。

  幼い頃から動物が好きな美汐は、興味深く聞いたものだ。
  でも、不思議と『妖狐』というものに特別な感情は持たなかった。
  『ここ』で狐を見る機会はなかったが、いつか会ってみたいとさえ思っ
  ていた。

  (…あ)
  そのとき美汐は、『何かの約束を、思い出した』感覚にとらわれた。
  (…そうだ、誰かに会いに行こうとしていたんだ)
  なぜか、そう思った。
  場所は体が知っているようだった。
  気持ちの赴くまま、歩を進める。
  行き先への意識がはっきりしてくるにつれ、走る速度が上がっていっ
  た。
  そして、
  感じ始めたのは。
  自分の足がまるで翼が生えているかのように軽く、
  スピードを上げて草原を駆け抜けていく、
  『夢』の中での、まるで違う『自分』

   小川のせせらぎを一息に飛び越えて。
  大樹の脇を抜け、岩山の上に跳躍して一旦周りを見回す。
  が、すぐに又走り始める。

  『それ』は、いつの頃からか見始めた夢だ。

  やがて、小高い丘が見えてきた。
  (もうすぐ、私が好きな場所に着く)
  はっきりとは分からないがそう、感じた。
  (今日もいてくれるだろうか?)
  理由はわからない…ただ、そう思った。
  そして、『その場所』には、
  『誰か』がいる筈だ。
  『私』にとって…大切な、大事な『あの人』が。

  草原の中に立っている、いつもの木の下。
  少し開けた場所の中、少し大きめの岩のひとつに腰掛けて。
  『あの人』がいた。

  (ああ、今日も会えた)
  安心感と嬉しさで胸が一杯になる。
  先に来ていたのだろう、『弟』と話している『あの人』
  近付いてきた私に気づいて、顔を上げて微笑んでくれる。
  私もその顔を見て、話しかけようとした時、
  私の瞳に映ったその人は。
  …その人物は。

  『天野美汐』という少女だった。

 (…ッ!!?)
 あまりの衝撃に、美汐は一気に目を覚ました。
 心臓の動悸が、痛いほど早い。
 (な…んで…)
 息があがリ、苦しかった。全身に汗をかいていた。
 (私が会いに行っていたのは…もうひとりの『私』!?)
 これはどういう事なんだろう?
 もう一人の、自分に会うなんて…。
 ふと美汐は頭の中で、鏡写しに自分の姿を見ていた。
 考えを何度巡らせても、収拾がつきそうになかった。
 そして、その中で思い浮かんだ、ひとつの解決への可能性。
 (あの子、なら…)
 あの少年なら。
 (何か教えてくれるかもしれない)
 いつかの思わせぶりな態度から出た、考えだった。
 ベッドから下りる時に、足がふらついた。
 頭も痛い。
 ともすれば朦朧となる意識の中で、必死に身体を動かして支度をする。
 こんな状態で出かけるのを知られたら、母親は絶対に反対すると思ったの
でこっそりと家を出てきた。
 家から少し歩いたところで、運良くタクシーを拾うことができた。

 商店街を抜け、坂道に作られた住宅街を抜けていくのを、美汐は車窓から
眺めていた。
 そのうちにだんだん民家がまばらになり、閑散とした山沿いの道路をしば
らく走り続ける。
 美汐の案内で木々が両側に生い茂る脇道へ折れたタクシーは、少し入った
所で停まった。
 これ以上は無理だ、それよりもと体の状態を心配してくれる運転手に丁重
に礼を言い、料金を支払った後、鬱蒼とした山の中に分け入る美汐。
 行く手の枝葉を振り払い、もうだいぶ言う事を聞いてくれなくなった体を
引きずるように動かす。


 やがて…必死になって山の木々を抜けた美汐の目の前には、
 『ものみの丘』が広がっていた。
 そして夢の中で何度も見た『いつもの場所』には、
 半ば約束していたかのように…先客がいた。

 「…ようやく、時が来た様ですね」
 ふらつく美汐を抱きかかえるようにして迎えながら、少年は言った。
 「すいませんでした。でも、こうするしかなかったんです。ここでしか、
十分にちからを使えないから」
 「あなたは…一体…」
 手頃な岩に腰掛けさせてもらいながら、美汐はこの少年が全てを語ろうと
しているのを感じていた。
 「貴方の疑問を解く為には、少し昔話をしなければなりません」
 少年は、そう切り出した。
 「何年か前、町の方の建築工事現場で、鉄骨の落下事故がありました。そ
の時運悪く、下を通りがかった女の子がいたんです」
 声のトーンをそのままに話す少年。
 「巻き込まれた女の子は、奇跡的にも助かりました。人々はそのときは騒
ぎましたが、やがて意識から消え、忘れられていきました。だけど、その時
本当だったらその女の子は死んでいたんです」
 朦朧としかかる意識の中に、少年の声が響く。
 「その女の子の命の欠片を繋ぎ合わせ、かろうじて生き永らえさせたのは
一匹の『妖狐』でした。その『妖狐』は日頃からその少女と親しくて、何か
あった時は絶対に守ると決めていました。そしてその通り、自分の『いの
ち』を少女の体の中に置き換えることによって、少女を助けたんです。後々
のためにその時の記憶も消しました。…しかし」
 そこで少年は一息入れた。
 「少女の体が、何年もの年月をかけて回復してきた時。本来ある少女の
『いのち』と、与えられた『いのち』が、共存できなくなってきてしまった
んです」
 そこまで言って、少年は美汐を見た。
 「だから、僕はやって来たんです。『姉』の意思を継いでその少女を…」
 愛しい者を見る目。優しい瞳を美汐は感じていた。
 「今度は僕が…貴方を助ける為に」
 「…!!」
 ようやく美汐は気づいた。その少女が過去の自分であることを。この少年
の『姉』の記憶を夢の中で共有していたんだという事に。
 「どう…やって…?」
 それだけを口にした。
 「僕がこの姿になる為に使った後の…残りの『ちから』を使えば、貴方の
中のもう必要なくなった姉の『いのち』を無くす事が出来る筈です。まあ、
僕達の仲間を見分けられたりする、などの影響は残るでしょうが」
 こともなげに少年は言ったが、美汐にはそれがそんなに軽い事だとは思え
なかった。
 「そうしたら…貴方は、どうなるのですか?」
 聞かずにはいられなかった。しかし、少年の答えはやはりどこかで予想で
きたものであった。
 「…多分、消えるでしょうね」
 「そんな…!!」
 美汐は愕然とした。この少年は…いや、その話が本当なら、姉弟そろっ
て、自分の為に命を捨てると言っているのだ。
 だが。この少年の言うことが本当だとしても。
 「でも…でもなんで私なんかの為に?」
 そう。それが疑問だった。
 自分が、この姉弟に何をしてあげたというのだろう?
 「私の為になんでそこまで?そもそも貴方のお姉さんだって…え?」
 いつのまにか少年の瞳に、蒼い光が宿り始めていた。身体もだんだん白く
なっていっている。
 「…!?ど、どうし…」
 少年の身体の変化に驚く美汐。
 「嬉しかったから」
 少年は答える。
 「だって…だって貴方は言って下さったじゃないですか?」
 優しく、微笑みながら。
 「…僕達が憧れて、願ってやまなかった言葉を」
 少年の身体から光が、大気中に溢れ出していた。
 視界が白く染まり、少年の身体が白い世界に溶け込んで見えなくなる直
前、美汐は確かに聞いていた。

 「『ね、お友達になりませんか?』って…」






 …それからどのぐらい経ったのかわからないが、次に美汐が目を覚ました
時は体の不調は嘘のように消えていた。
 全てが終わったのだと思った時、堰を切ったように涙が溢れた。
 美汐は泣いた。泣き続けた。
 沸き続ける涙を、止めようとも思わなかった。
 …友達になりたかった。
 狐と最初に出会った時。
 可愛いと思った。
 綺麗だ、とも思った。
 恐いとは思わなかった。
 『お友達になりたい』
 そう思って自然と手を差し出していた。
 妖狐伝説の所為か、冷たい態度を取る人間たちとは違う少女。
 最初は戸惑っていた狐だったが、やがて、美汐の足元に擦り寄ってきた。
 美汐は、とても喜んだ。そして、言ったのだ。
 「ね、お友達になりませんか?」…と。


 帰宅した後、すっかり様子が変わった美汐に周囲の人は皆一様に驚いた。
 もともと物静かなところはあったものの、感情の起伏が感じられないよう
になった。
 無表情というか…どこか冷たい印象を、みるひとに与えてしまっていた。

 だから数ヶ月後、美汐が地元ではなく、少し離れた高校に行きたいと言い
出したときは、家族は驚いた。
 もちろん反対はされなかったが、理由を聞いた家族に美汐はこう答えた。
 「少しでも…『あの子達』のそばに居たいんです」
 他の人には、理解できよう筈もない、言葉だった。



 それからしばらくした、冬のある日。
 『ものみの丘』に立ち寄った。
 何をするでもなく、もの想いにふけっていた。
 帰り、駅前で美汐は一人の同じ年頃の男の子が通りすがりの人に尋ねてい
る場面に出会う。
 「あの…ちょっと、いいですか?」
 「はい?なにか?」
 「駅前のベンチって…ここだけですよね?」
 「え?…ええ、そうだと思いますけど」
 「そうですよね…どうも」
 雪がちらつき始めているというのに、親切そうな婦人が立ち止まって受け
答えをしていた。
 しきりに時計を気にしているところを見ると、誰かを待っているらしい。
 しかし、今の美汐には何の関心の沸きようもなかった。
 駅に向かって、黙って脇を通り過ぎていく。

 …ひとを、避けるようにしながら。





 少女は心を閉ざしてしまった。
 この話はこれで終わりだけれど。
 もし、この物語に続きがあるとしたら、
 それは。
 …少女が変わる時かもしれない。
 悲しい過去を受け入れ、
 共に『新しい一歩』を踏み出す時。

 …新たな物語が、始まる筈だ。



          To Be Continued  HOTOTOGISU 2001 Summer.



   <軌跡>終




■続・ご挨拶
 …はい、いかがでしたか?
 お付き合いいただき、ありがとうございました。
 なんだか、途中よくわかんなくなりつつも、自分なりにやりたい事はでき
たような気はします。
 叱咤激励してくれた人達のお陰で、何とか形にすることができました。
 もし、よかったらご意見・ご感想なんかをBBSに書き込んでいって下さった
りすると大感激です。
 もちろん、イベント会場その他で本人に言って下さるのも可。
 致命傷となるほどの『猛毒』は、できれば遠慮したいところですけど(笑)

 さて、来たる夏の大祭、『不如帰』の新刊の美汐本は、このSS『軌跡』の
後編にあたる物語です。
 今度は漫画として、皆さんにお届けしたいと思います。

 心を閉ざしてしまった美汐。人と関わるのを避けるようになってしまった
彼女が、何故、祐一と真琴の事に関わろうと思っていくのか?
 彼女の心を動かしたのはいったい…?
 そんな、お話です。
 お楽しみに。

 是非、スペースまで足を運んで下さいね。
 ご来店、不如帰全員心よりお待ちしております。


               2001/06/30. 不如帰・津山和紫